本日はちょっぴり国連に対するネガティブな内容も含まれていますが、一個人の意見なので「へ~そういう見方もあるんだな~」くらいに思っていただけますと幸いです
国連を目指そうと思った日
「そうだ、国連を目指してみよう」
そう思った日のことを今でも思い出せる。大学院2年目の夏。広大なキャンパスを汗をかきながら歩いているとき、ふとその思いがよぎった。
国連で働く。何度か邦人国連職員のお話を伺ったり、外務省のJPO説明会を聞きに行ったりしていて、国連で働くこと自体にはずっと憧れていた。ただ、自分には無理だろうなと思っていた。すごく倍率が高いし、自分じゃ絶対に合格できないだろうと。
当時の自分はもっと自分の専門分野についてちゃんと勉強したいと思って大学院に入ったものの、授業や新しい環境についていくのに必死だった。特に卒業後のことを決めて入学したわけでもない。周りに流されて外務省の試験を受けようか、商社を受けようか、はたまた博士課程に進んで研究職を目指そうか?など思いあぐねて日々を過ごしていた。
そんな中、幸いなことに国連でインターンする機会をもらって、そのあとにフェローシップをもらって数か月アフリカに研究に訪れることができた。そこでやっぱり自分の興味分野への熱意を再確認して、現場で自分の専門を活かした仕事をやってみたいと思うようになった。私の専門はガバナンス。ガバナンス分野で民間企業でやれることは少ない。途上国のガバナンス分野で活動しており、存在感があるのはやはり国連だった。
「やれるだけやってみよう」
そう思って、まずは民間企業に就職して就労経験を得て、アフリカで働いて現場経験を積み、晴れて国連のポストに合格し、いまのオフィスで働きだして2年目になる。外から見ればそれはそれは計画された通りのキャリアが歩めていて、憧れていた仕事ができていて、幸せに見えるのかもしれない。
ただ、自分でも驚くことに、30歳になった今、私はこのまま国連のキャリアを進めていくことに躊躇している。
1.人生のプライオリティが変わってきた
学生時代、私の人生の幸せ要素を決めるのは自分のキャリアの成功だった。
「仕事が自分の人生の時間の大半を占めるのだから、好きなことを仕事にしよう。」高校生の頃からそう思って将来の職業を考えてきた。だから専門分野を仕事にするというのは自分の中では至極当たり前の考えだった。
安定志向なんてつまらない。そう思ってきたのに、最近はプライベートの充実のほうに幸せを感じるようになってきた。
家族と過ごす時間。友達と過ごす時間。自分の好きなものを食べて、自由に旅行して。
それができるのは年に1,2回の一時帰国の数週間のみ。アフリカで一人暮らしをしていると、根無し草のようで時折むなしくなる。もっと若いころ(というと歳を感じるのであまり言いたくないが)は、それが心地よかった。どこにも所属せず、アウトサイダーな自分の立ち位置を楽しんでいたりもした。いまはどこかに自分の拠点が欲しいと思ってしまう。ないものねだりなのかもしれないが。
2.30歳以降のキャリアが思い描けない
私は定期的に数年後の自分の人生がどうなっているか、キャリアプランを描くようにしている。
国連で働く、までは綿密なプランがあった。ただ、これ以降どうすればいいのかが全くの白紙だ。
これからP4,P5と上がっていくことを目指す?別の地域に行く?本部に行く?
それをして自分はどうなりたいのか?何を成し遂げたいのか?
国連に入る前には、いつか挑戦してみたいと思えるポジションがあった。しかし、実際に間近で働き業務の解像度が上がると、そこまで魅力的なポジションには見えなくなってきた。今では、国連の中で自分がなりたい将来についてはぼんやりとしたイメージしかわかなくなってしまった。
3.家庭を持つ女性のロールモデルが周りに少ない
わたしのいる国だけなのかもしれないが、国連で働くインターナショナルスタッフの女性は思った以上に少ない。
そして働く女性のほとんどが、1.独身、2.離婚(子なしorシングルマザー)のどちらか。体感では8割がこれ。残りの2割は結婚していて、パートナーも援助関係者で遠距離中、もしくはハウスハズバンドとして帯同して来てくれている人を見かける。
結婚しているから幸せというつもりは勿論ない。自分も20代までは特に結婚願望はなかった。ただ将来的に家庭を持ちたい、家族が欲しいという希望を持つ人にとっては、やはり難しい職種なのかもしれない。
一方男性スタッフはほぼ100%既婚者、単身赴任(妻と子供は本国)か家族帯同(妻はハウスワイフ)が主。
4.国連の現実を見た
国連で働く前は、「自分が世界を変えてやる」くらいにおこがましいことを思っていた。
しかし国連の仕事だけでは何も変わらないということにうすうす気が付き始めてしまった。
途上国で活動するにあたって、国連の仕事はあくまで政府のサポート。もちろん政府の方針に対してアドボカシーをしたり、意思決定を促したりして政策を決める手伝いはするが、あくまで主導は現地政府。
なので政府がやる気がなければもうどうしようもない。
dependency syndromeとはよく言ったもので、50年以上の援助の成果として、現地政府は「お金はもらえるのは当たり前」「国連がなんでもやってくれる」と思ってしまっている。
それは中央政府だけじゃなくて、地方自治体、裨益者にまで染みついてしまっている。プロジェクトを立ち上げて、活動を練って、いざプロジェクトサイトに行ってアクティビティをしても、フィードバックとしてみんなが口にするのはDSA(Daily Subsistence Allowance:ランチ代や宿泊費を補填する出張費のようなもの)や交通費の金額に対する不平不満が大半だ。あとはもっといいスナックを持ってこいとか、ホテルを借りてもっといい設備でアクティビティをやってくれとか。活動の内容についてはほぼ議論されることはない。(念のため言っておくが、私がいる国のUN規定では、原則として国連のアクティビティは政府や地方自治体の施設を使うことになっているし、DSAや交通費はUN規定で決められた金額しか出せない。しかも金額は政府公式レートよりずいぶんいいレートだ。それでも文句が出る。)DSA目当てで参加しているような政府関係者や裨益者もいる。
なんというか、自分の活動はなんのためにやっているのか、よくわからなくなってしまった。
もちろんコミュニティのためにやっているのだし、細々とだが成果はでているのだ。なので現実に目をつむって、ドナー向けのレポートにはいいこと(成果)のみを書き連ねていけば、きっとお金はついて、新たなアクティビティを組成できるのだろう。
ただこういうリアクションを直に浴び続けていると、なんだかもう、本当に疲れてしまった。自分がやっていることって何の意味があるんだろう?って。
もちろん、やる気ある政府関係者も時折いる。そういうスタッフに会ったときは心底感動するし、こういう人たちをサポートしていきたいと思う。ただその情熱を打ち砕いてしまうほどに、やる気のない人が多すぎる。
「そういう人たちに向けて、アクティビティの目的をわかってもらえるまで説明して、鼓舞して、導いていくのがリーダーシップでしょ!!」そうかもしれない。ただものすっっっごく疲れるし、何度繰り返しても同じような反応が出てくる。たぶんこういうのにやりがいを感じる種類の人間もいる。わたしはまじめに受け取って疲れてしまう。
5.国連といえどパブリック機関
新卒で入社させてもらった会社では、周りは頭の切れるプロフェッショナルばかりで、仕事の進め方や分析のやり方など学ぶことが多く、(つらいこともあったけど)心底鍛えられた。
それに比べると国連ではまったく頭は使っていない。気は使っているけど。ある意味新卒の会社では鍛えることのできなかった能力なので、成長しているとは言えるのだが。
ただ毎日出勤してはいろんな部署をめぐって同じ内容のフォローアップを陽気にし続けていると、「これってわたしのやりたいことだったかしら?」と思ってしまう朝もある。自分の海馬はどんどん縮小していき、物事を考える力も退化しているような気がする。これでいいのだろうか。
・・・という具合で、自分のキャリア観の変化ならびに国連の仕事の進め方のために、これからも国連にいるべきなのか、それとも他の道を模索するべきなのか、現在とても悩んでいる。
まだ30歳なので、いまから第二の道を歩むことはできるだろう。でも、あんなに行きたかった国連で夢の仕事をしているはずなのに、それを手放してしまって本当にいいのか、という気持ちがある。一度出てしまったらもう二度と戻れなくなってしまうかもしれない。長年のアフリカ生活が辛くて、今少しうまく考えられなくなっているだけかもしれない。
自分が本当に人生で成し遂げたいことはなんなのか、どういう人間になりたいのか、今一度じっくりと考えてから、後悔のない結論を出したいと思う。
悩めるお年頃なのです・・・
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